お条兄弟の書初め
ここは、小生たち通神が暮らす『
新旧、様々な建物が入り乱れている不可思議な世界ではありますが、規律正しい縦横の通りは、現在の京都とほぼ同じ。
その『亰』という世界に東西の通神たちが暮らす、東西御殿敷地内の能舞台で、小生と兄上・
「おーい三条~! わての
「硯なら、そこに置きましたが……あ、あの。兄上はその大きさの筆をお使いですか?」
「あっ、そやで」
兄上が大きな筆を担ぎ、キョロキョロしているのを見て、あわてて小生は大きな硯が必要だと気が付いた。
「兄上、その筆を使うつもりなら、小さな硯では駄目ですね……小生が
「せやな。墨をすらなぁアカンから早めによろしくやで」
そこへ四条が、わき目もふらず兄上の前へとやってきて、風呂敷を一つ渡そうとし、兄上が受け取る寸でのところで、風呂敷は中身をぶちまけながら床へと落ちる――
その物音は舞台中に響き渡った。落ちた中身は、墨汁。
「なんやびっくりした! ごっつい音したがな!」
「何故、きちんと受け取らぬのだ。せっかく、我が買うてきてやったというのに」
「はぁ? なら、ちゃんと渡せばいいやろ?」
「我は、きちんと渡した」
さすがは四条。先の先まで読んで、兄上のために墨汁を用意したのかと、落ちた墨汁を拾いながら思っていると、急に四条に話しかけられた。
「兄上はどう思う? 我がわざと落としたと思うか」と。
四条と兄上はどうもそりが合わない。昔からそうだ。
けれど小生が思うに、今日のように、四条が兄上に必要な物を買って来ることもよくあることだ。
四条が気を利かせて持ってくる、兄上への手土産が原因で、いつも揉め事が起こる。
そのたびに「……揉めるのならば最初から、買ってこなければいいのに」と、つい口にしてしまいそうになるのだが。
「まあまあ。兄上、四条が持ってきた墨汁のおかげで、墨をすらなくてもよくなりました。今、小生が、大硯を探して持ってきますね」
「ふん。そうであろう? 二条のことだ忘れていたのであろう。去年の書初めのときに、大筆で来年は書くと言うておったのを、我が思い出して買うてきてやったのだ」
「小生も気付かなかったことを、よく四条は気が付きました」
「……そうか。四条は、わてのために墨汁を……? ああ、それはわてが悪かったわ」
ようやく、兄上と四条の揉め事が終わる。
(年の初めだ、この程度で終わったのは運が良かった……大硯、あの大硯は、何処にしまったか……)
納戸の中で大硯を探しながら、ふと思う。兄上と四条はいつごろから、あのような感じになったのかと。顔を突き合わすと、その場の空気がピンと張り詰めるようになったのは、と考えてみる。
そういえば、江戸時代の
それを怪訝そうに見ていた四条がいた。
確か、その後すぐ、四条は兄上の事を兄上とは呼ばなくなったのだ。
(……四条は一言、兄上の事を『何だか恥ずかしい』と言っていた。それが今も続いている。まあ、確かに、兄上のヒーロー好きには、ついて行けない時もありますが……好きになることを止めることなどできません)
四条の事だ、おそらく兄上の趣味をよくわかっていないのだろう。
けれど、四条の中には兄上を思う気持ちもあるようだ。墨汁を買って来るあたりにそう感じる。
小生は今年も2条の間で右往左往することを、仕方のないことだとも思いつつ。少しは仲良く書初めをしてほしいと願いながら、大硯を見つけて能舞台へと戻ることにした。
大硯を抱きかかえて戻ってくると、広い舞台の上、四条と兄上は離れて書初めの用意をしていた。
本舞台の上に並べられた、2枚の縦長の半紙と、大きな真四角の半紙。
兄上は大きな半紙の前で、たすき掛けをして大硯を待っていた。
「三条、おおきに。墨汁を入れて、いざ書くでー!」
「そうですね。兄上、墨汁を入れるのを手伝います」
兄上の半紙、そして1枚の縦長半紙をはさんで、2枚目の縦長半紙のところに、墨をする四条が静かに座っている……おそらく、四条と兄上の間が小生の書く場所なのであろう。
この2条の距離が、わずかな小生の希望を消し去ろうとしている。
いや、今年は始まったばかり……これからだ。
「四条は何と書くのですか?」
「我はまだ決まっていない。何を書けばよいのか、いつも迷う」
「小生は願い事を書くつもりです。他にも絵や、今年の目標などを書いてもいいと思います」
「絵でもよいのか……ふむ」
すると、兄上の大きな身振りが視界の隅に入った。
「フンッ……! オッ、と。ふぬぬぬぅ~! やぁっ!」
大きな半紙に大きな筆で、大きく書かれた文字は『夢』。
何とも二条の兄上らしい文字だ。
「大きな半紙で何を書くかと思えば……夢の一文字とは」
「まあ、何を書いてもいいのです。それでは四条、小生も書きます――!」
筆が紙を滑り、墨の香りが立つ、この感覚が小生は好きだ。
するすると文字を書き、筆を硯に置くコトッという音までが小生の書初め。
隣で四条の視線を感じながら、小生の願いが書きあがる。
「できました」
「……『家内安全』? ふむ。そういうことか。兄上には日頃、二条と我の間に入って、大変な思いをしているのだから、当然であるな」
「少しは理解し合っていただけると、助かります」
「心に留めておこう」
「なんや? 『家内安全』か、ええなぁ。三条らしい」
「兄上も『夢』とてもいいと思います」
「……長くこの世に存在していても、まだ『夢』というものがあるのは、まあ、すごいことだな。フフッ」
「おい! 四条……今、お前、もしかして笑ったのか!?」
「笑ってなどいない」
「いいや、今、確かに笑った。それもわてを見て笑っただろ!?」
「二条、そのように、何事も決めつけるのはよくない」
「決めつけてへんわ!」
「いや、いつも決めつけてかかる節がある」
「……おまえなぁ~!」
「も~! 兄上も四条も、ケンカは止めてくださーい!」
どうやら、小生の悩みの種は、今年も尽きそうにない。
- 完 -