通神想起譚 –河原町編–

河原町通 ( かわらまちどおり ) 、その通りの歴史はまだ浅いとされている。

現代の鴨川、 三条大橋 ( さんじょうおおはし ) からほど近い土手べりで、人間たちに姿を見せた状態で座っている通神が1条。

今の時代に合った格好をし、普段から身に着けている虎毛マフラーを首に巻いて、通神・河原町は今、過去の思い出にふけっていた。

河原の洲なのか、川の一部なのか……通りの神とされる河原町の記憶はそんな曖昧なところから始まったようで、彼の一番古い記憶をたどると、人間たちが争いを繰り広げていた戦乱の世まで遡る。

「……やはり、戦をしている人間たちの声が俺様の記憶の始まりだ。だが、その後の記憶がねぇな。俺様の記憶は、どうやら一度途切れている。次に覚えていることは何だ?」

そんな遥か昔の記憶を思い出しているところへ、明るい声が飛び込んできた。

同じ南北組で同部屋の 東洞院 ( ひがしのとういん ) がやってきたのだ。

「河原町ぃ~! やっぱりここに居たんだぁ。麻呂、探しちゃったぁ~」
「おう。なんだ、東洞院か」
「なになにぃ~、なぁんか真剣な顔して……考え事してたのぉ?」
「いや、なに。大したことじゃない。そんなことより、こんなところまで俺様を探しに来たってことは、何か大事な用件か?」
「うん! 重大な用だよ! なんと、兄さまが明日ね、麻呂たちの部屋を掃除しに来る!」

河原町は、自分たちの部屋を東洞院の兄の 西洞院 ( にしのとういん ) が定期的に掃除に来ていたことを、最近知った。それまでは東洞院がいつも勝手に掃除していて、きれいにしてくれていると思っていたのだ。

東洞院は大切な玩具などを、兄に処分されないように隠すため、河原町を呼びに来たようだった。

「おっと、それは重大だな。よし! ならば、 南北屋敷 ( なんぼくやしき ) へ戻って大事なものは――」

すると、東洞院は大きく首を横に振った。立ち上がろうとした河原町の腕を引っ張って。

「ん? なんだ、どうした? 帰らねーのか?」
「麻呂、話聞いてもいい? だってぇ、河原町のあんな顔……麻呂ぉ、初めて見たもん」

南北屋敷で同部屋の東洞院は、河原町にとっては先輩通神にあたる。
 そんな先輩の心配そうな様子をむげにも出来ず、河原町は再び腰を下ろした。

「そんな大した話でもねーが……」

河原町はそう前置きをして、東洞院に話を始めた――

 

話は、後に浮世絵で有名になった 東海道五十三次 ( とうかいどうごじゅうさんつぎ ) の西の終点とされた三条大橋が、豊臣秀吉の命により石柱の橋へと改修されたころの鴨川へと遡る。

当時、鴨川の川幅は現在のそれよりもずっと広く、両岸は洛中・洛外と人の行き来でたいそう賑わっていた。天候の良き日には船が行き来し、のどかな川景色からは船頭の歌声も聞こえてくるほどだ。

この頃の京は、秀吉公が都の再建を始めたころだった。

まだまだ応仁の乱の影響が残り、草木・家などが焼け荒れ果てていた京は、かつての華やかな都が再建されるとあり、こぞって日ノ本中の人々が、この地へ働きにやってきていた。

大きな荷を積んだ船や、木材の運搬、行商を乗せた船が鴨川の岸に着く。

秀吉公の改革で『 御土居 ( おどい ) 』が出来てからは、洛中と洛外の境目がはっきりとしたため、はるばる京へとやってきた者たちは、関所を通ることになる。

そこで関銭と言われる通行料を支払うのだが、それまで関所を通らずにこっそりと入京していた者たちにとっては、秀吉公の改革をよしとしない者も中にはいたことだろう。

その『御土居』は、後の河原町通になる道の西側に沿うように作られていた。

御土居の外側で自分の背丈の5倍ほど高く積まれた土の山を眺めている少年がひとり。

この少年こそ、後の河原町だった。

「……これは一体何なんだ? 土の上には竹が植えてあるのか?」

不思議そうに土の山を見上げては、時々やってくる小鳥たちにも気を取られていたが、じきに、土の山を眺めることにも飽きてきて、少年は目の前にある鴨川を眺めだす。

すると、彼の頭の中にはあちらこちらから、人間たちの声や様子が飛び込んできた。

「立派な橋がかかって、賑やかだな。橋の東側も西側にもなにやら人がたくさんいるな。そうか、あの人が出入りしている小屋は 旅籠 ( はたご ) や土産物屋というのか……」

荷車を押して洛中へ入る人間や、洛外へ旅に出る連れを見送るために橋の東側へと出てくる者もいる。

そんな行き交う人間たちの会話を、離れているところから聞き取って、少年は学んでいた。そして、人々が一生懸命に生きている姿を興味津々の様子で感じ取っていた。

赤毛を風になびかせて、昼夜問わず御土居の外側の同じ場所に座り続けている少年。厳密には、ここで座っているか眠っているかのどちらかである。

眠っている間は、川のせせらぎを子守歌代わりにし、起きている間は、ずっと働く人間を眺めては、四季折々変化する鴨川の景色を楽しんでいた。

「鳥が飛んでいく……羨ましい。あの鳥は、どこへでも行けるのだな……」

少年は己が人ではない存在であることを、何となく感じ取っていた。

「どうして、俺はここから動けないのだろう? 俺も走り回ったり、水浴びをしたり、空だって飛んでみたいのに……俺は一体何者なんだろうか」

この場からは動けないと、何度も試してみたから知っている少年は、『いつか人間のように自由になりたい』と小さな希望を胸に日々を送っていたのだ。

 

「そうだったんだねぇ。麻呂はずっと洛中に居たから知らなかった。1条じゃ、寂しかったねぇ……そっか。それで、河原町はいつ自由になったのぉ?」
「ああ、そうだな。そのころの俺様の願いは、見ての通り叶っているわけだが……少し胸の痛いことがあってな」
「話したくなぁい?」
「いや、聞いてくれ。俺様も同室の東洞院には、話しておきたいと前から思っていた」
「わかった。麻呂、ちゃんと聞くね」

東洞院は河原町の方へ向き、これから始まる話をまっすぐに聞く体制に入る。

少し瞳が揺らいだ河原町は、いつもはあまり見ない東洞院の真剣さに、努めて明るい声で己の見て感じてきた過去を語りだした。

 

賑やかな三条口・三条大橋の関所付近は、どんどん 宿場町 ( しゅくばまち ) として栄えていったが、その一方、橋の下に広がる三条の河原は、時折、見せしめのように行われる罪人たちの処刑場でもあった。

古くは平安時代より、七条から三条へかけての鴨川の河原で執行されていた刑の様子を、少年はしっかりと感じ取っていた。

その処刑が行われる度に、少年の頭の中に流れてくるのだ。人間が泣き叫ぶ声やひそひそと噂をする声。また大勢の足音や引きずられているような音なども聞こえてくる。

少年は、その時の声や音を聞くと、いつも不快に感じていた。そして、音声と一緒に流れ込んでくる光景は、彼にとって胸が張り裂けそうなほどの信じがたい光景だった。

「何故、人間同士であのような真似をするんだ!?」

その衝撃は、いつしか何もできない己への怒りへと変り……その思いの熱が冷めるまで、しばらくはやるせない気持ちがずっと彼の心を支配する。

ある夏の日、人間たちの噂話が少年の中へと流れ込んできた。

それは、秀吉公が自身の身内の多くを処刑するという残酷な噂話だ。

「ただの噂かもしれん。身内を殺めるなど……人は50年ほどしか生きぬというではないか。そんな短い人生を、むやみに奪うなんてことはしないだろ?」

抱えていたやるせなさがやっと消えたというのに、たまったものではないなと少年は思う。けれど、残酷な噂は本当に起こってしまった。

ほどなく、三条大橋の下、河原には十八日ほど前に自害したとされる豊臣秀次の首が洛中に向けてさらされていた。そこへ不安な様子の子供らを乗せた荷車や、足を引きずり歩く女たちが次々と続いて音や景色が少年の頭の中に入ってくる。

行列の傍から聞こえてきた傍観者たちの中からは、憐れむ声や、その秀次の身内や家臣たちの数は四十人ほどとなる、かなりの人数だともささやかれていた。

炎天下、白装束の女たちが市中を引き回される様子。「ははさま。ととさまは?」「もうすぐ会えますよ」そんな親子の会話まで、不思議な事に少年へとどっと流れ込んできた。その後、女たちが裸足で河原へと足を向ける光景も、鮮明に少年の頭の中へと浮かんでいた。それだけ、少年がこの出来事に意識を集中していたということだ。

少年の頭に浮かぶ光景は、まさに今から処刑が始まる様子――

「あの幼い子供まで処刑されるのか?」
「可哀そうに」
「何の罪もないのにねぇ……」

現地に集まっている人間たちは誰一人として刑を止める様子はなく、ただただ哀れみのまなざしを向けているだけだった。一人、また一人と斬首され、大きな河原の穴にその骸が放りこまれていく……

「クソッ! 俺が助けてやらないと!」

いてもたってもいられなくなった河原町少年は、自身の胸の中の気持ちに引っ張られて、気が付くと初めて身体が動いていた――!

「それでどうなったの? 河原町はそれを止められたの?」
「いいや。俺様は結局のところ、その人間たちを助けられなかった……」
「そっかぁ……」

肩を落とす東洞院。河原町を見上げる大きな瞳は、涙を浮かべている。

「なっ!? おい、泣くなって!」
「な、泣いてなんかないよぉ……ふぇぇぇぇっ」
「泣いてるじゃねーか……ったく」
「だってぇ~」

すると慰めるかのように、河原町がまとっていた虎毛マフラーが勝手に動き出し、東洞院をふわりと包み込んだ。この虎毛マフラーは、河原町が今の姿になってからの相棒で、実は古い掛け軸の中から出てきた、白い虎の子の化身だと言われている。

「虎ちゃん、麻呂を慰めてくれるんだね。あ・り・が・と」
「もう泣くなよ。あれは、400年以上前の話だ。そうだな……よし。ならば、何か楽しかったことを話すとしようか」
「ぐすっ。……楽しかったこともあるの?」
「ああ、あるぞ。辛い出来事ではあったが、念願の自由を手に入れたのだからな」

 

人間たちのように自由になった河原町少年は、次に強くなりたいと願っていた。

救えなかった人間たちのことも、己が強ければどうにかなったかもしれないと当時は考えていたようだ。

月日は流れても、『御土居』の外側をふらふらとうろつく毎日だったが、人間たちの力自慢を見たり聞いたりして、毎日がとても新鮮だったという。

処刑場であった三条河原は、人々の憩いの場所でもあり、時々相撲を興じる人間もいた。その多くは、遠方から京へ重い荷物を運んでくるような男たち、荷物を運び終えた洛中からの帰り道に、この河原で休憩を取るのだ。そんな屈強な男たちが食事や昼寝、相撲などに興じていたのを少年はいつも見ていた。

ある日、少年は一人の男に相撲を教えてほしいと願い出た。男は、この辺りでは相撲で負け知らずの大きな体の男だ。最初は男に「子供にはムリだ」と大笑いされたが、しつこく少年が願い出るので男は仕方なく、首を縦に振る。

「いいだろう。だが、『弁慶石』を動かせたらだ。動かせたら相撲でもなんでも教えてやる」
「わかった。どの石が弁慶石なんだ?」
「あの石だ」

男の指さした先には、1尺7寸(52センチくらいの高さ)ほどの石がある。

少年は自分の腰辺りまである石に、抱き着くと一気に力を込めた――!

「フンッーーンンン!」

いつしか、次々と見物人が集まってくる。力試しをするための『弁慶石』に、子供がしがみついているのだ。大人たちからはさぞや、かわいらしい姿に見えたに違いない。

「おいおいなんだ? 子供にはムリだろ」
「いいぞ、頑張れ!」
「相撲くらい、教えてやればいいのに」
「腰を入れろ、坊主!」

様々な声が飛び交うも、少年はそれどころではなかった。

この石を動かして、一番強い男に相撲を教えてもらうため石に集中し、さらに力を込める。

すると、ゴリゴリッと石がほんの少しだけ動いたではないか……!

その瞬間、周囲からどっと歓声が上がった。

「すごいな!」
「坊主、力持ちやなぁ!」

少年は、石を動かせたことよりも、人間の大人たちに褒めてもらえたことで、何だか誇らしい気持ちになる。そして男は少年に「相撲、教えてやるよ」と笑顔を見せた。

この時、河原町少年は、強くなるための修行がいよいよ始まるんだと思っていた。

「俺は強くなれる……そうだ。俺様はもっと強くなる!」

 

それからの毎日は、どんどんと楽しくなり、人間たちに可愛がられていたと河原町は東洞院に話す。

心地のいい風が川面をすべり、土手べりの河原町と東洞院を撫でていく。河原町が一通り、楽しかった思い出を話し終え東洞院を見た。

「相撲は楽しかった。昔の俺様は、まだ小さい身なりであったから、相撲に勝つことはなかったが、なかなか力は強いと褒められたもんだ。ん?」
「スヤァ~」
「……なんだ。眠ってしまったのか。仕方のないやつだな」

話を聞くと言っておいて、夢の中に行ってしまった東洞院に、半ば呆れながらも、河原町は着ていたスカジャンを東洞院へとかけてやる。

そして、再び、過去の己に会うために思いを馳せた。

 

相撲を教えてくれた男は、1年後、国へ帰ることになった。少年だった河原町は、三条大橋の東のたもとで男を見送る。毎日、相撲の相手をしていたのだ、情もわいたのだろう。男は一緒に行かないかと誘ってくれたのだが、少年は首を振った。

「俺様の居場所は、この鴨川の河原だから」と。

少年はすっかり、三条河原の有名人となっていたが何年たっても姿は少年のままだった。次第に、人間たちは気味悪がりはじめ、少年に近寄ってこなくなった。

己が人間たちに噂されていることを知っていた少年。『御土居』の北へと居場所を移したり、または南へと移り住み、人間たちと距離を置きはじめた。

「仕方のないことだ。俺様は人ではないのだから……」

少年が自由になって十六年ほどが経過した頃、急に三条河原に呼ばれたような気がした。

久しぶりに見る三条大橋は、相変わらずの賑わいだ。何かに引き寄せられるまま、橋の下へと降りてみることにした。橋の下には洪水などで廃れた塚があり、かつて処刑を目の当たりにした豊臣秀次と犠牲になった女・子供らの亡骸が埋まっているのを感じる。少年は自然と塚に手を合わせていた。

「おや? あの惨劇を知らぬ、幼子まで手を合わせておる」

背後から声がしたので振り返ると、中老の男が立っている。辺りを見渡しても幼子はいない。どうやら河原町少年のことを言っているようだ。

「私は、 角倉 ( すみくら ) と申す者。すぐその先で運河の工事をしておってな。その様子を見に来たのだが……この塚のことがずっと気になっておったのだ。お前、名は何と申す?」
「俺様には、名はない」
「そうか。もうすぐ、 立空桂叔和尚 ( りっくうけいしゅくおしょう ) がやってくる。これから、秀次さまを弔うために寺を建てようと思っておるのだが、今から少し手伝ってはくれまいか」

意外な申し出であったが、少年は戸惑いを見せながらも、大きくうなずいた。

「角倉さま、遅くなりました」
「和尚、それでは頼みます」

和尚は少年を一瞥すると、すぐにお経を読み始めた。低く静かに響くお経を読む声はじわりと少年の胸へと染み込んでゆくようだった。

「お経が終わったら、私と遺骨を拾う。わかったか?」
「おう。わかった」

この時、少年は人間とはすごいなと感じていた。こうやって、亡き者に礼を尽くす人間もいるのだ。なぜすぐに弔ってやらなかったのかとも彼は思ったが、詳しいことは後に知ることとなった。秀吉公が生きていた時代にはそれが叶えられなかったのだということを。

お経が唱え終わり――

少年と角倉と和尚は、遺骨をひとつひとつ拾っていく。

拾った骨を和尚に渡すと、和尚は静かにうなずいた。

角倉と和尚の会話によると、手を合わせていた塚は新しく整備し、遺骨を納め、この場所に新しく寺を建てると聞く。

「あの時、助けたいと思って飛んできたのに……助けられなかった。俺様がもっと強ければどうにかなっていたかもしれぬのに……」
「そうか、どこかで見た覚えがあると思ったら……『弁慶石』を動かした小僧。やはりお前は人ではなかったか」

和尚が少年にだけこっそりと聞こえるように言って、優しいまなざしで見つめる。

「人の世の事は人の世の事。お前は十分に優しい心根を持って弔った。あれは誰にもどうにもできぬことであったのだ。気に病むことはない」
「俺様は、強くなりたい」
「強さとは、力に限ったことだけではないぞ。本当に強くなりたくば、ここにできる寺の門を叩くといい」
「寺で教えてくれるのか?」
「ああ。私がその寺の住職になります。私を尋ねなさい。私が教えよう」

和尚は少年に微笑むと、角倉に声をかけた。角倉は少年のところまで近寄ってきて「これで好きな物を買いなさい」と数枚の銭を少年へと渡し、和尚と二人どこかへ行ってしまった。

数日後、角倉と和尚に出会った場所へ多くの人が集まり、寺の建設をし始める。

「俺様は人ではないが、ここに存在するために、何か出来ることがあるのやもしれん。あの和尚さまならば、きっと俺様のことをわかってくださるだろう……」

 

「そう思って、 瑞泉寺 ( ずいせんじ ) の門を叩いたのがつい昨日のことのようだな……」

ふと見ると、鴨川の川面が夕陽で煌めいている。シラサギが川から飛び立ち、どこかへと帰って行く。その姿を眺めたあと、河原町はまだ眠っている東洞院を揺り起こした。

「おい、日が傾いてきた。そろそろお役目をして帰るぞ」
「むにゃむにゃ……もう、そんな時間なのぉ?」
「ああ、そんな時間だ。……まったく、俺様の話を聞くんじゃなかったのか?」
「うあぁぁぁ! 河原町ぃ~ごめーん! 麻呂、お役目終わってぇ、南北屋敷に帰ってぇ、 夕餉 ( ゆうげ ) を食べたら、ちゃぁんと聞くから~ぁ!」
「別に、今日でなくてもいいだろーが。俺様たち通神には、時間がたっぷりとあるんだ」
「……うぅ。そうだけどぉ。麻呂、今日はぽんちゃんとお昼寝せずに来たから眠かったの……ホントにごめん~」

河原町が立ち上がると、東洞院も立ち上がる。

「んじゃ、またあとでねぇ。麻呂、お役目行ってくる」
「おう。屋敷へ戻ったら、まずは部屋を片付けねーとな」
「げっ。そうだったぁ……兄さまが明日来るんだったぁ~ じゃ、通仕る~!」

東洞院が土手べりから先に消え、河原町も人間には視えない姿へと戻る。

暮れていく土手べりに、かつての景色はもうない。今や、等間隔に座っているのは恋人同士か若者だ。

楽しそうな声があちこちから溢れる憩いの場になっている。

河原町は、振り返ると瑞泉寺の塀を見つめた。

「瑞泉寺ができ、立空桂叔和尚は言った通りに、あの寺の住職になった。俺様も強くなると言った通りにまだまだ強くならねばな」

 

思い起こせば、河原町は数年間、瑞泉寺で世話になり人の世のことを住職から学んだ。

江戸時代に入った当時は、三条河原では処刑が度々行われ、その都度、彼の脳裏には残酷な光景が飛び込んできた。以前はやるせない気持ちをいつまでもくすぶらせていたが、寺で学んでからは、心を平穏に保つ方法を習得できたと思っている。

時間の経過とともに姿が変わらない河原町が、人の世で、人と共に暮らし、人に紛れていられたのは、ひとえに寺にいる住職の理解を得られたからに違いない。

その数年後、住職の使いででかけた洛中で、河原町は己と同じ通りの化身だという丸太町と出会う。というか、丸太町に出会うまでは己が人ではないことはわかっていたが、通りの化身だとまったく気が付いていなかったのだ。また、通りの化身だと彼が納得するまでには、かなりの時間を要したらしい。

「俺様が、道の化身だと? 何をバカげたことを言うのかと思ったら……」
「じゃが、話を聞いたところ、見目が変わらぬところや、あらゆるところの状況が見えて聞こえてくるのじゃろ? それに名が最近認識できて『河原町』じゃというのは確かな証拠じゃ」
「……まあ、言われてみればそうかもしれん。数年前から近くの通りの名が『河原町』と呼ばれている。俺様もそれくらいから妙に己が『河原町』というのではないかと思っていたが……」
「まあ、わたくしたちの世界を一度見に来ぬか?  ( みやこ ) と言うてな、人がいないという以外は、この京となんら変わらぬ世界じゃ」
「みやこ?」
「そうじゃ」
「だが、俺様は……住職の側で、河原で命を奪われて亡くなった人間たちを弔いたいんだ」
「それは大事な事じゃの。じゃが……もっと大きな祈りを捧げるお役目を、わたくしたちと共にしてみんかの?」
「大きな祈り……だと?」

天下太平の世が訪れたと人間たちが安堵した頃。関所や川沿いの堤防はそのままに、洛中を取り囲む御土居は取り壊されていき、鴨川の東の岸辺から洛中を眺める景観はガラリと様変わりした。鴨川付近の通りも整備され、名もついたようだ。

「そうじゃ、わたくしたちは人間たちにつくられた道の化身。人間たちの行動一つで、道は衰退したり、無くなったりする。じゃが、人間たちの工夫一つで、新たな道が造られることもあるのじゃ。だからこそ、人間たちの安寧を祈ることで、わたくしらにも何かしら恩恵があるようなんじゃ」
「……よくわからねーが、一度、その亰へと連れて行ってくれ」
「良かろう。ゆるりと考える時間も必要じゃろうて。まずは亰へ参ろうぞ」

 

「初めて亰へと行ったことは、鮮明に覚えているな。まだ少年の姿だった烏丸が亰中を案内してくれた。亰のあちこちを2条で走り回り、使いに出たまま7日間ほど亰には滞在したが、京へ戻ると1日半ほどしか経っていなかった。未だにこのカラクリだけはよくわからねーが、寺の人間にあまり心配させずに済んだのは良かったな」

今日の河原町は自分でも驚くほどに、記憶が鮮やかに思い出されていた。それが楽しくて、ついお役目を忘れそうになっていたことに気が付く。

「おっと、いけねぇ。さてと俺様も今夜のお役目を済まさないとな!」

鴨川から河原町通はすぐそこだ。

河原町は 三条通 ( さんじょうどおり ) から自身の通りへ出ることをせず、南側の 龍馬通 ( りょうまどおり ) から河原町通へと出た。

金曜日の夜が始まるからか、龍馬通から 先斗町 ( ぽんとちょう ) へ、または龍馬通から河原町通へと多くの人間たちが流れている。

「この様子じゃ、車も多いだろーな。しっかり、祈ってやるぜ!」

 

京都、河原町通の歴史はまだ浅い。それは他の通りに比べればの話だ。

多くの人間の亡骸が晒された河原の過去には、以外にも希望を抱いてこの地へとやってくる人々の楽し気な声も聞こえてきた。

時に鴨川は氾濫し、河原町通の原型が川の底へと沈んだこともあっただろう。

そんな河原の洲が、人々が行き交う通りへと進化したのは、ひとえに人間たちが惜しみなく利便性を図った先の形とも言える。

河原町が今の見目になったのは、つい最近の明治時代終盤に入ってからの事。

南北屋敷の先輩通神たちに愛されて、すくすくと育って――

「おい。その紹介だと、俺様がまるでまだ小僧みたいではないか」

 

失礼。話を戻そう。

幕末、京都はまた争いの渦中にあった。

通りを駆け抜けていく、新選組の足音や刀がかち合う音が耳をすませば聞こえてきそうなほど、まだ爪痕が残っている場所もある。

そんな頃から、河原町の見目が大きな男の姿へと変わる。大正時代へかけて人間たちが京都市電を河原町通の 今出川通 ( いまでがわどおり ) から 塩小路通 ( しおこうじどおり ) に通すため、整備が行われたのだ。

大正十三年から昭和五十二年までは、河原町に市電が開通し人々の暮らしを便利にしていたことは、今でも知る人はいるだろう。

昭和三十六年に、今の河原町が愛してやまない祇園祭の山鉾巡行の経路が改められた。四条通を出発し、この河原町通りを山や鉾が北上することになったのは、まだ、最近の事だ。

今では、北は 葵橋西詰 ( あおいばしにしづめ ) から、南は 十条通 ( じゅうじょうどおり ) までの京都市の主要道路となり賑わいを見せていて、平成に入ってからも人間たちの手で進化を遂げている河原町通は、そこに住む人々や、観光を目的とする人々にも必要とされ、愛されている。

 

時折、鴨川で起こった悲しい歴史を思い出すようにしている河原町。

日々の安寧を祈りながらも亡き者への弔いを忘れない、熱い心を持つ通神は、今日も河原町通のどこからか、無邪気な笑顔で、人々の様子を眺めていることだろう。

 

 

- 完 -