通神想起譚 –烏丸編–

男は、慈雨に濡れながら九条烏丸の交差点上空で立ち尽くし、西方向を見つめていた。

男の物憂げな表情は、心がここにはないことを物語っている。

そして、誰一人として、宙に浮かんでいるこの男を不審がる人はいない――

雨が落ちてくる空を見上げる者がいないのか、はたまた彼を視ることができないのか……後者においては、文字どおり人の目で確認することが、ほぼ不可能であるという意味だ。

そう、彼はここ京都の碁盤の目に張り巡らされた通りの化身、人あらず者である――
 

慈雨は遥か遥か昔の、都がまだ長岡京にあるころの 葛野 ( かどの ) の地へも降り注いでいた。

突然降り出した大粒の雨は、枯れた土地と小路を潤し、そこへ膝を抱えて座り込む、ぼさぼさ頭の少年の身体をも湿らせている。この少年は人あらず者。人間の年で言えば十歳前後くらいの見目だろうか。

そんな折、少年のすぐそばに慌ただしくやってきたのは、よその土地から物を売りに来た商人二人だった。

「急に降ってきよったなぁ」
「ああ、でも。ここんところ暑い日が続いていたから、ちょうどええ」
「そうやな。そういえば、聞いたか? 何でも都がここいらへ越してくるそうや」
「はぁ? 都いうたら、今のところになってまだ十年そこいらやないか?」

通りがかりの男たちが、都の話をしている……男たちは少年には気が付いていない様子で、おしゃべりに夢中だ。

都がこの葛野の地へ? そうなったら、この地でもっと品物が売れる……そんな話を意気揚々と楽し気に話している男たち。

少年は男たちが話す内容に、興味深く耳をそばだてていた。すると、一人の商人が急にひそひそと小声になる。

「ここだけの話やけどな。都がこっちへ移るんは、どうも長岡京が呪われているかららしいで」
「呪われている!?」
「しっ! 声が大きい!」

ただならぬ噂話は雨音にかき消されてしまいそうなほどの小声だが、少年の良く聞こえる耳にはしっかりと届く。商人たちの話だと、長岡京は着工の時点から大変だったというのだ。

「長岡京はここいらよりも日照りが長かったから、飢饉や疫病も流行った時期があって、その後は大きな洪水や。稲が根元からあかんようになって、土地ごと腐ってもうたらしい」
「そら、えらいことやなぁ」
「それだけやないで、 桓武天皇 ( かんむてんのう ) さんのお身内がつぎつぎと御不幸つづきやそうや」
「鎮魂の義もしはったのに……この前の大雨で川は氾濫してもうたそうやし……」
「えらい、くわしいなぁ」
「ああ、ついせんだて長岡の方に物を売りに行ったばかりやさかいな」

不幸続きの都をとうとう移すことになったと聞いて、少年は胸が踊るような気がしていた。

そういうと少し不謹慎な感じもするが、ずっとこの場から動けずにいる少年は、これから何か変化が起きるのではないかと、感じ取っていたのかもしれないし、またそれは、ただの一縷の望みであったのかもしれない。

ほんのひと時で慈雨は止み、商人たちは立ち去っていく。

残された少年は、膝を抱えたままで頭の中へ意識を集中しはじめた。

北は、後に一条大路となる辺りから、少年の意識本体がある、いずれ四条大路と呼ばれるあたりを越え、南は十条大路と呼ばれる通りの少し南までの景色が頭の中をよぎり、今そこで起こっている物事が鮮明に見えてくる。

(もし、この地が都になったら……もっと広くあちこちに行けるようになるかもしれない。それに、もしかしたら私がどうして人とは違うのか、わかるかもしれない)

と、少年は期待して頬をほころばせていた。

それから、しばらくして。

雨宿りの商人たちが言うとおり、新京の着工が決まったようだった。この葛野の地へ多くの人々が、いきなり入ってきたのだ。道をきれいに整える人、建物を建てる人、商いをしに来る人もいるそうで、他にも川を使って木材を運ぶ人々もいると人間たちの噂話で聞く。

少年は、人間たちの働きを聞いたり、感じたりすることが好きだった。日に焼けて、汗をかき懸命に都を作る話を聞いたり感じ取るのが本当に大好きだった。この場から動けなくても、目を閉じれば彼の通りも人間が何かをしてくれているのがわかり、心が躍る。

その頃、ようやく、少年のいる通りは 烏丸小路 ( からすまるこうじ ) と呼ばれ始め、通りの幅も今の12メートルほどに整備された。美しくなっていく少年。

けれど少年には、一つ気がかりな事もふえた。

それは自分のいる通りにたくさんの人間が行き交うようになり、ぽろぽろとその人間たちから零れ落ちて溜まっていく黒い ( もや ) のようなもの。その多くが人間が泣いている時、怒っている時、誰かに対して良からぬ感情を抱いている時に、その人間からぽろりと落ちてくる。

少年が消えろと念じてみると消えることもあって、靄はあまり良いものではない事だけが少年の知るところとなっていた。

そんな葛野の地が劇的に変化を遂げている頃、少年はすでに九条大路と呼ばれだした、大きな通り近くで袈裟を着た男を見つける。その男は若い僧侶で、誰かに道を尋ねている様子であった。

近くに居るわけでもないのに、僧侶からはそこはかとなく何か清々しい香りがしてくる。

これは何の匂いだろう? と考え始め、気が付けば少年はその袈裟を着た男の袖をつかみ男の隣に立っていた。男はにこりと少年に笑顔を向け、こう言う。

「おや、珍しい。子供の姿をした八百万の神ですか。私は比叡山よりやって参った ( さい ) ( ちょう ) という僧侶です。あなたの名は何というのですか?」
「名……?」

なんと答えようと考える少年。今まで名など名乗ったことがないので眉根を寄せてしまう。行き交う人間たちが呼ぶ名でもいいだろうか……など少年が考えていると、最澄という若いお坊さんは少年の頭をポンと撫でた。

「名がないのでしょうか?」
「いえ、あります! ……か、からすまるです!」
「からすまる?」

つい口をついて出た名は、最近人間たちに呼ばれ始めた新しい名だった。

「はい。たくさんの人間がそう呼ぶから……」
「そうですか。良き名ですね」

「良き名」だと最澄から言われて、からすまると名乗った少年は、今まで味わったことのない喜びを得た。後にこの喜びが『嬉しい』ということなのだと、からすまるは知ることになる。

最澄の袖をむんずとつかむ小さな手は固く、放す様子はなさそうだ。瞳を輝かせて、からすまるは最澄を見上げていた。

「私は気に入られたようですね。いいでしょう。私はこの葛野の地へ、人に会いに来たのです。あなたもついてきますか?」

からすまるは、大きくうなずいた。

だが、大きくうなずきすぎたのか、最澄の方へと前のめりになってしまう。

最澄に支えられたその時初めて、からすまるは自分の身体が、人間のように動けるようになっていることに気が付いた。

「からすまる、大丈夫ですか?」
「あ、あの……私は、解き放たれたのですか?」
「解き放たれた……? 今までは動けなかったと?」
「今まで? 動けませんでした。見たり聞いたり感じたりはできましたが」
「そうですか。歩けそうですか?」
「歩く、というのは……?」
「はい。このようにするのですよ」

最澄は、からすまるに歩くという動作をしてみせた。それを見て、からすまるは真似をし歩いてみる。土を踏みしめた感触が、素足に心地よく感じられ、またもや込みあがってくる感情に胸がいっぱいになるのだった。

最澄はからすまるを連れ、ようやく九条通を西へと歩き出した。

「この先に、都の入り口となる羅城門が建設されていると聞きます。その門の左右に大きな寺院が建つそうです。このような時期に現れたからすまるは、きっと御仏の使いなのでしょうね」

最澄がからすまるに話をしてくれているのはわかっていたが、からすまるは足を交互に出すことに集中していた。

先ほどまで隣を歩いていたはずなのに、いつの間にか最澄はどんどんと前に進んでしまい、その声もだんだんと遠くなっていく。

からすまるは、「どうして、私はなかなか進むことができないのだろう」と独り言ち……そしてついに、こんなにも上手くいかないことがあるとはと、焦りを覚え転んでしまう。

すると、振り返った最澄があわてて駆け寄ってきた。

「おやおや、大丈夫ですか!?」
「……歩くというのは難しいですね。人間は簡単にできているというのに」
「どうぞ、私の背に。私がおぶって行きましょう」

からすまるの目の前で、最澄が背を向けかがむ。彼は言われるがまま、その背に身を預けた。高くなったからすまるの視線からは、九条大路の向こうに建設中の羅城門が小さく見える。その右手には、最澄の目指す寺院も見えていた。

「わぁ! 遠くまで、よく見えます!」

無邪気なからすまるの言葉に、最澄は笑みを浮かべて言う。

「人も、初めは歩くことができません。少しずつ成長して歩けるようになるのです」
「人間も歩けないのですか?」
「はい。話すこともできません」
「知りませんでした。では、人間はどうやって歩いたり、話したりできるようになるのですか?」
「人はこの世の中を知りたいという欲で、成長するのです。歩くと母が喜んでくれる、話すと相手の気持ちがわかる、もっと笑ってほしい、もっと知りたいと……そういう欲が人を育みます。からすまるが歩けるようになれば、私が一番初めに喜びましょう」

最澄の言葉に、からすまるは身体の内側があたたかくなった。初めて話した人間の言葉のあたたかさ、初めて触れた人間のあたたかさ。からすまるはどんどん最澄のことや人間のことを知りたくなっていた。

そして、建設中の東寺に二人は到着する。

門の奥から、からすまると似たような背格好の小坊主が出てきた。小坊主は、最澄から、からすまるへと視線を移すとぺこりとお辞儀をして言った。

「最澄さま、お待ちしておりました。あちらに見えます仮の本殿でお待ちです」

最澄はからすまるを下ろすと、小坊主にからすまるを託す。

「悪いが、この子を清めて新しい着物をお願いします」
「かしこまりました」
「……あの、私は?」
「私は人と会ってきますので、身支度ができたらこの者に案内してもらってください」
「……わかりました」

この場を立ち去る最澄の背中を見送り、からすまるは小坊主についていくことになった。

真新しい木の香りがする仮の本堂へ、最澄が足を踏み入れるとそこには身なりのいい年配の男が座っていた。

「お待たせいたしました。最澄と申します」
「わざわざ、比叡山からお越しくださって……まあ、座ってください」
「失礼します」

最澄は男の前に座ると、顔を下げたままで男の言葉を待つ。

「顔を上げてください。私は遷都に際して新しい宮殿の造営を任された 和気清麻呂 ( わけのきよまろ ) と申します。新しい都はご覧になられましたか?」
「はい。ここへ来る途中に少しばかりですが」
「ここは前の長岡京とは違い、四神に守られた土地。新京では悪いことが起こらずに平らかで安らかな都を帝は願っておられます。今いるこの寺院も帝の都を護ることを目的に建てている最中、二年後には完成することでしょう」
「…………」
「まもなく、帝がこの新京へと移られるので、最澄殿に一度帝に会っていただきたいと思って、今日この場を設けたのですが受けてくれますか」
「承知致しました」
「よかった! その時に帝よりお話があるでしょう」

「失礼いたします。お連れしました」

その時、最澄たちのところへ小坊主がからすまるを連れてきた。ぼさぼさで長かった髪を整えて後ろの高い位置で結び、真新しい着物に袖を通したからすまるが小坊主の後ろに控えている。

「来客でも来たのか? 私の用事は済んだから、お通ししてよいぞ。それでは最澄殿、私はこれで。帝が新京に入られた際には使いをこちらへよこしますので、それまではこの寺に滞在を」
「はい。ありがとうございます」

和気清麻呂は、小坊主とからすまるの側を通り寺院をあとにした。

最澄の小さなつぶやきが、からすまるの耳に届く。

「あの方は、からすまるを視ることができなかった……か」と。

この新京へしばらく留まることになった最澄は、からすまるにもしばらく共に過ごすことを提案した。その間に、いろいろと小坊主たちが学ぶものを一緒に教えてくれるというのだ。そして、こうも言っていた。

「からすまるは、人ではないけれど人のことを知り、人がすることを学ぶと良いでしょう。あなたはきっとこの新京を見届ける存在になるでしょうから」と。

そんな人間との暮らしが、最澄と出会った夏を越え、秋から冬へと移り変わり……

翌年の794年。この新京を取り囲む山々が色づく頃に、無事に帝が羅城門より新京入りしたらしい。誰も立ち入ることのできない朱雀大路を悠然と帝を乗せた牛車がいくつも通ったらしいと、寺院へ出入りする商人が小坊主と話しているのをからすまるは聞いた。

そして、その翌月にはこの新京の名が決まる――

「平安京……ですか?」
「そうです。前にここへ来た時に和気清麻呂という方が話しておいででした。新京では悪いことが起こらずに、平らかで安らかな都を帝は願っておられますと。その帝のお気持ちがそのまま名となったのでしょう」

平安京と名がつくとともに、長岡京から続々とこの地へ越してくる人々。多くの者が雪の深くなる前にと、急いている様子が烏丸小路を離れている、からすまるの意識の中にも見えていた。

この寺院に滞在するようになって、早くも一年以上が経過し、ここで過ごす間にからすまるは読み書きと礼儀作法を最澄から学んでいた。朝夕は、御仏に手を合わせ、小坊主たちと同じように過ごす毎日はとても新鮮で、ずっと一人でいたからすまるにとっては嬉しく、楽しいと感じられる日々であった。

雪が降りそうなほど重い雲が立ち込めた、ある平安京の朝。なかなか来なかった和気清麻呂からの迎えがやってきた。最澄は供にとからすまるを呼び、支度を始める。

そうこれから、からすまるも帝にお会いするというのだ。

彼は、ふと不安になった。和気清麻呂と言えば、からすまるのことが視えなかった人間だ。あまり考えてはこなかったが、からすまるを視えている人間と、そうでない人間がいるということに、彼は気が付いていた。

「あの……本当に私が一緒に行ってもいいのでしょうか」
「心配ですか?」
「はい。人間の中には私を視ることができない者もいるようですから」
「心配はいりません。私はあなたに今の世を知っておいてほしいのです。人が築き上げた世というものを、どのような考えの人が支えているのかも。あなたが何かを話す必要はありません。私の側にいるだけでいいのです」

からすまるは、最澄が自分に人の世というものを見せてくれるつもりなのだと察し、帝との謁見に付き添うことにした。

牛車にゆられて、大内裏の広い広い敷地にまで到着する。牛車より降りると大きな御殿がいくつも見えた。先導する迎えの者の後をついて、内裏の中へと入ることを許される。歩き見る、この美しい景色を人間が造りだすことにも、からすまるは驚いていた。

内裏の奥で、最澄は帝と謁見をする。最澄の少し後方で、からすまるも控えていた。

「最澄殿、よう参られました。間もなく帝が来られます」

和気清麻呂が最澄に声をかけると、最澄は深々と頭を下げた。

最澄に続き、からすまるも頭を下げる。

「おや。今日は可愛らしい供をお連れですね」
「ええ。今、私の下で修業中の身ではございますが」

今、和気清麻呂は、からすまるが視えていると最澄は思っていた。

からすまるはというと、和気清麻呂が自分自身を視ることができて大成功だと、頭を下げながら笑いそうになるのを必死に我慢している。

ずっとからすまるは考えていたのだ。どうしたら和気清麻呂に彼が視えるようになるのかと。そして、全ての人間に姿を視てもらえるようにはできないのかと。

そして考えていたことを試してみたかったのだ。その試すのがこの場になってしまったのは、いささか不謹慎なことだが、からすまるが視えないと明らかになっている和気清麻呂に気が付いてもらえれば、事は大成功だ。

(あとで、最澄さまは喜んでくださるだろうか……)

からすまるは、頭を下げながら、そう考えていたに違いない。この緊張感が漂う広間で。

そして和気清麻呂が言った通り、すぐに帝が広間に入られて話が始まった――

「平安京での暮らしはどうじゃ? 不便はないかのう?」

帝の第一声は、最澄の様子を気遣うものだった。

「はい。僧侶の暮らしは皆が足ることを知っておりますので、不足などございません」

最澄がそう応えると、ここにいる者の表情が硬くこわばった。

にこやかに話す最澄の表情は、からすまるからは見えない。

また、最澄の言葉の意味も今のからすまるにはよくわからなかったが、この広間の空気が引き締まったような気配にだけは、気が付いていた。

帝は、その場の様子を気にすることなく、話を続ける。

「のう、最澄よ。山を引き払い、これからの平安京に力を貸してはくれぬか」
「それは、この都に留まれと仰るのですか?」
「そうじゃ。平安京にはこれからも多くの人が入り賑わいをみせるじゃろう。皆が安心して暮らせるようにするには、国のための仏教が必要であろう? 山で後継を育てるのも、平安京で後継を育てるのも同じじゃろうて。清麻呂もそう思うておるそうじゃ。のう?」
「私も最澄殿がこの平安京のために尽くしてもらえれば、この平安京という名の下に人々が集まると思います」

最澄は帝と和気清麻呂の言葉に耳を傾けた後、静かにうなずいて言った。

「ご無礼だとは承知の上で、包み隠さずに全てを申し上げます。私は以前、平城京にて国家仏教と政の関わりに疑問を抱いておりました。どうも違うのではないかと思うのです。私たち僧侶は悟りを開くために世間から離れた所に身を置き、十二年は修行を要します。そのための比叡山という場所、悟りを開いた者には国家を護るのではなく、身分に関係なく全ての人々を導くことが御仏の望まれる役割などではないかと」
「さ、最澄殿!」

場は確実に凍ってしまった。だけど、毅然とした態度で話す最澄の言葉の一つ一つが、からすまるの心にとどまった。後方より最澄の大きな背中を見つめながら、からすまるは、こういう人が人間たちを導いていく人なのだろうと胸が熱くなるのを感じていた。

凍ってしまった、この場を和やかにしたのは帝の言葉だった。

「そうじゃのう。そうじゃ、一人一人の人間が導かれねばいけぬよのう。ただ、この平安京は長岡京のようになっては困るのじゃ。それはわかってもらえるかのう? 国の行く末を護ることも必要な事なのじゃよ。ではの」

最澄の言葉も、理解を示した帝の言葉も、からすまるは何となくわかるような気がした。

そして、この広間を帝が立ち去ろうとしている瞬間、最後に最澄が深々と頭を下げながら言った言葉は、からすまるの胸に特に深く刻まれた。

「帝、ありがとうございました。私のいる比叡山は、この平安京からおおむね鬼門にございます。私はその鬼門より、この平安京の安寧を心から祈りましょう」
「ふぉっふぉっふぉっ。また会おうぞ、最澄」
「はっ」

『平安京の安寧を祈る』そう言った最澄から、ちゃんと平安京のことも考えますという気持ちそのものが、帝にも伝わったに違いない。

ただ、『安寧』という言葉を聞いたことがないため、意味を理解はできなかったが、からすまるはきっと良き言葉なのだろうと思っていた。

帝が立ち去り、和気清麻呂が額の汗をぬぐいながら、こちらに話しかけてくる。

「この平安京の国家仏教の担い手として、ご活躍されればよかったのに」
「申し訳ありません。今、帝に申し上げた通りです。それにまだ、しなければならないこともあるのです」
「ですが、最澄殿……何かあれば力を貸してくださいよ」
「わかりました」

未だ降る慈雨に濡れながら、九条烏丸の交差点上空…… 烏丸 ( からすま ) という京都の通りの神が先ほどとは向きを変え、北嶺を見つめていた。

その昔、自分が『からすまる』と名乗っていたころに思いを馳せながら、心の中で静かに誰かに語りかけている様子。いろいろな物事や知識を得た、烏丸の始まりの記憶が消えないように、この日はここへやってきているようだった。

「あの日、牛車にゆられ、あなたと話したことが昨日の事のようですね」
 

帝の謁見からの帰り道。迎えの時のように牛車にゆられながら、からすまるは最澄とたくさん話をした。その話の中には、今日の謁見中に知らない言葉が出てきたことなどもあった。

「『安寧』とはどういう意味なのですか?」
「難しい言葉を覚えましたね。『安寧』とは平穏、つまり皆の心が安らかに保たれていて、安心に暮らせる世の中であるということですよ」
「良き言葉なのですね。私の通りも常にそうでありたいです」
「やはり、からすまるはあの通りの……神でしたか」
「え? なんですか?」
「いえ。からすまるには驚くことがたくさんありますね。それに、今日はどのような方法で和気清麻呂殿に姿を視せることができたのでしょう?」
「視えるように、と念じたのです」
「ほう、念じるだけで? それはすごいことです」

最澄は今日、からすまるが初めてしたことにも喜んでくれた。あの歩けなかった少年が、歩けるようになった時も、その後走ることを覚えた時も、字を書けるようになった時も掃除が上手くできた時も。

いつもからすまるの一番最初は最澄が喜んでくれていたのだ。

「今日、からすまるが私について来てくれて良かったと思います。そして、直接、帝に私の考えをお伝え出来た事にも、御仏のお導きがあってこそだと。さて、あなたはこれからどうしますか? 私と一緒に比叡山へ来ませんか?」

そう、最澄は帝に会うためにここ平安京へ留まっていたことを、からすまるは思い出した。

最澄は、からすまるに明日、平安京を発つことを伝える。

もう、何をしても最澄の笑顔を見ることはできないのだと思うと、からすまるの胸はひどく痛んだ。それからしばらくの間、からすまるの瞳からは大粒の水があふれ出て止まらなかったのだ。
 

慈雨はまだ、九条烏丸の交差点を濡らしていた。烏丸の着物はずぶぬれだ。まるであの頃のからすまるの涙で濡れたかのように。そして、昔感じた胸の痛みをじわりと思い出す。

「人の寿命など儚いものなのに、どうして私はあの時ついて行かなかったのでしょうか。もっと最澄と共に過ごせばよかった……」

何故、と今の烏丸が問うても、時間を戻すことはできない。

ただ、おぼろげに覚えているのは、あの時、からすまると名のついた通りから、平安京から離れてしまうと最澄と一緒にいるからすまる自身が消えてしまうのではないかと、ふと過ったのも事実。

今になればそんなことはないと断言できるのだが、あの当時は自身の存在さえ、どのようなものかもわからずにいたから不安であったのだと。今ならわかる。

「この時期、雨が降ると思い出します。私の意識が鮮明になり、自由になった日の最澄との出会い。そして、あの当時の人々の生き生きとした様子。そして私が得た経験……」
 

最澄は翌朝、静かに寺院を出ていった。そして、からすまるも途中まで一緒に供をする。

別れ際、最澄は不思議な事を口にした。「いずれまた、この平安京を尋ねることになると思います」と。からすまるは不思議なことを言うと、当時は思っていた。が、後にその言葉は本当になった。

というのも、四年後に最澄はからすまるに会いにきたのだ。

時は798年。

帝が病に倒れ、最澄は帝の側で病気平癒を祈祷する 内供奉十禅師 ( ないぐぶじゅうぜんじ ) という役職に任命されたときのこと。

最澄はその折に、わざわざ烏丸小路を訪れてからすまるとの再会を果たしていた。

再会を果たした際に、烏丸小路に貴族の邸宅がおおく建ち並び、通りが以前よりも美しくなったため、からすまるは少し成長した姿で現れた。人間だと十三歳くらいの見目、出で立ちも立派になっていた。

「ご立派になられましたね。また会えて嬉しいです」

そう言った最澄の笑顔は昔のままだと、からすまるは懐かしく、とても嬉しく思った。

「今回は長くこの地にいらっしゃるのですか?」
「そうですね……あなたもご存じでしょうが、この平安京の流行病で多くの人が亡くなっていますから、しばらくは都の人々が少しでも心安らかにいられるように祈りたいと思います」
「そうですか。私も『安寧』を人々のために祈ります」
「からすまる、ありがとうございます」

その再会からほどなく、流行病は収まった。

からすまるは、最澄の祈りが届き、平安京を襲った病は終息したのだと思った。
 

その後のからすまるはというと――

平安時代の四〇〇年を十三歳前後の容姿のまま過ごしていた。

広い平安京の中で過ごす場所を転々と変え、自分の通りを見守ってきた。

しかし、寂しくはなかった。人間達とも交流を持ち、そして、自分と同じような境遇の仲間にも出会えたからだ。

平安時代中期くらいから広い平安京の中、少年の姿で走り回るからすまると三条坊門小路(当時の御池)と堀川小路はいつも一緒だった。

春日小路(当時の丸太町)と出会ったのは、平安時代後期だった。

同じような境遇の仲間が増えるにつれ、自分たちには何ができるかと語り合っていたことも、今ではとても懐かしいことだと、今、九条烏丸交差点に居る烏丸は思っていた。

慈雨はあがり、烏丸が自身の通りを北にと顔を向けると、雲間から日が差し込み大きな虹が出てきた。

烏丸が成人の姿になったのは、つい最近の事で1877年に京都駅が誕生した後の話だ。人々が、現代の帝のために京都駅から京都御所へ行くための通路として、烏丸小路を大きな通りへと幅を広げたのだ。

成人した姿になった烏丸は、南北組のリーダーとして通神や他の通りの化身たちを導く存在となった。そんな彼には今も時々、帝謁見時の最澄の言葉が聞こえてくるという。

「――この平安京の安寧を心から祈ります」

烏丸が見た、帝と最澄の光景は歴史には残らず、ただ烏丸のみぞ知る歴史となり……
最澄が烏丸に与えた言葉や想いは、今もなお烏丸の心の中で確かに煌めいている。


- 完 -